6月25日の大会は、最後の洋野町小学校陸上記録会となります。

今年度の大会をもって、洋野町小学校陸上記録会は幕を下ろす事となりました。児童数の急激な減少の中、ここ数年の大会は種目数の見直しなどの工夫を繰り返してきましたが、それもついに限界となり、6月25日の大会をもって長い歴史の大会の幕が下りる事となりました。この大会は、昭和43年から始まった「種市町小中学校陸上競技大会」を起源とする、55年ほどの歴史がある大会です。5月30日には町内の小中学校の先生たちと一緒に競技場づくりを行いました。昭和53年頃にできた競技場のため老朽化が進み、縁石のポイントマーカーも相当数はがれ落ちており、ライン引きもかなり苦労しながら行いました。この競技場からは、関東インカレや東海インカレの優勝者が輩出されただけでなく、箱根駅伝ランナーも4名も生み出しています。現役では昨年の日本選手権100mで7位に入賞した八戸学院大学の灰玉平くんや今年の関東インカレで7位に入賞した、中央大学1年の澤村里緒菜さんも、洋野町小学校陸上記録会に参加し、活躍した選手でした。その他、東京国際大学の駅伝部監督として、東京国際大学を箱根駅伝に導いた大志田監督は、高校生(盛岡工業高校)の時、2年続けてこの競技場で合宿しました。また、1500mの当時のアジア記録と日本記録保持者の日本体育大学卒の石井隆士選手も、お忍びでこの競技場で合宿をしました。大志田選手を含む盛岡工業高校の陸上部員も石井選手も、わが家に泊まりながらあの競技場で合宿をしたので、よく覚えています。石井選手がわが家の茶の間に座っていた時には、二十歳前後だった私は腰を抜かすほど驚いた事を昨日のように覚えています。6月25日は最高の天候のもと、町内の子ども達が全力で頑張ってほしいと心から願っています。(掲載した写真は、昭和44年第2回種市町小中学校陸上競技大会(種市中会場)の、4年男子60m競争で大会新(九戸郡の大会記録も更新)で優勝した時の私です。私はその後、大学卒業するまで陸上競技(400m)を続けました。